先日の11月6日から8日まで、実家の年老いた母に顔を見せるために出かけて来ました。
少なくとも年に一度は元気な姿を見せるために会いに行くのが一番の親孝行と思っている。
まあ、リウマチで指の関節がちょっと痛む程度なら、年老いた母親は気付くことはあるまい。
毎回のことながら、東京へ戻って来る時に「次回も元気にしているだろうか」と思いながら。
7日には母、兄夫婦、妹、私で最寄の観光地の昼食バイキングへ出かけることになった。
朝食後、出かけるまでの1時間半の間に小学生の頃の通学ルートをウォーキングで辿ってみた。
子供の頃の目線で繁華街と思っていた通りは、今では完全なるシャッター通りと化していた。
その中の電器店、店構えから当然閉店していると思ったら、意外にも生き続けているらしい。
『しつこく生き続けている』という表現は失礼だろうが、実際の気持ちとしては嬉しかった。
昔は、模型用の『マブチモータ』からテレビ、洗濯機まで電器製品から部品まで売っていた。
この締め切った店内のショーウィンドウに飾られていたのは昭和30年代の商品のようだが・・・
今はもちろん店頭販売なんて成り立たないので、電話やネットでの受付なのだとは思う。
店内をガラス越しに覗いて見ると、奥にはやはり昭和のステレオなども飾っていた。
残念ながらガラスの反射や光線の具合で、反対側のブロック塀が写り込みうまく撮れていない。
その他の店も似たり寄ったりで、地方の人口減と高齢化をはっきりと感じさせ何とも切ない。
さて、その朝の散歩はほぼ6kmで、約1時間半の50年以上も昔への『ワープ』となっていた。
少なくとも年に一度は元気な姿を見せるために会いに行くのが一番の親孝行と思っている。
まあ、リウマチで指の関節がちょっと痛む程度なら、年老いた母親は気付くことはあるまい。
毎回のことながら、東京へ戻って来る時に「次回も元気にしているだろうか」と思いながら。
7日には母、兄夫婦、妹、私で最寄の観光地の昼食バイキングへ出かけることになった。
朝食後、出かけるまでの1時間半の間に小学生の頃の通学ルートをウォーキングで辿ってみた。
子供の頃の目線で繁華街と思っていた通りは、今では完全なるシャッター通りと化していた。
その中の電器店、店構えから当然閉店していると思ったら、意外にも生き続けているらしい。
『しつこく生き続けている』という表現は失礼だろうが、実際の気持ちとしては嬉しかった。
昔は、模型用の『マブチモータ』からテレビ、洗濯機まで電器製品から部品まで売っていた。
この締め切った店内のショーウィンドウに飾られていたのは昭和30年代の商品のようだが・・・
今はもちろん店頭販売なんて成り立たないので、電話やネットでの受付なのだとは思う。
店内をガラス越しに覗いて見ると、奥にはやはり昭和のステレオなども飾っていた。
残念ながらガラスの反射や光線の具合で、反対側のブロック塀が写り込みうまく撮れていない。
その他の店も似たり寄ったりで、地方の人口減と高齢化をはっきりと感じさせ何とも切ない。
さて、その朝の散歩はほぼ6kmで、約1時間半の50年以上も昔への『ワープ』となっていた。
コメント
コメント一覧 (10)
子供の頃の繁華街がシャッター街になっているのは
悲しいものを感じますが
その中で、生き残っているお店は
何かと親近感が湧きますね
chaos
がしました
chaos
がしました
どんな物にも寿命があるのは仕方が無いにせよ、せっかく戦災にも遭わず当時を遺した木更津の古い商店街も、今はChaosさんの故郷同様シャッター通りです。人口が減っていくこれからは益々・・・
お母さん、幸せそうですね^^
子供たちが揃って顔を見せてくれるのが何よりの幸せですから。
色んなお話が出たんでしょうね^^
chaos
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Chaosさんの顔を見てお母さん喜んだのではないですか?
一番の親孝行です。
小・中学生の時によく行った模型屋も既に無くなっていて、その模型屋の近くを通ると今でも思い出しますね。
今では良い思いでです。
chaos
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昭和の品々はまだ売っているんでしょうか?
chaos
がしました